はじめまして、富田 光(トミタ コウ)といいます。
僕がギターを初めて触ったのは、中学生の時。最初に弾いたのはクラシックギターだったのを覚えています。
父親が少しギターを弾けたので、1冊ギタースコアみたいなのを買ってもらって練習しました。最初は分からないことだらけ。当時は野球部で朝から晩まで野球漬けだったので全く練習しない日もしょっちゅうでした。
で、一度挫折します。ええ、そうです、Fのせいです。
結構早めに挫折しました。それからしばらくは(多分数ヶ月くらい)はギターから離れました。でも中学3年の時の担任の先生がギターを弾きながら歌ってくれる人で、それに感化されて再び練習を始めました。
クラスには3人くらいギターを弾ける友人がいて、音楽の最後の授業とかで発表したりもしました。
軽音楽部目当てで高校を決める
高校でも軽音楽部に入りたくて、自分の学力に合ったところで、尚且つ軽音楽部がある高校を選択。高校自体は運動部が盛んだったけど、先輩からの野球部への誘いも丁重にお断りして軽音部に入部しました。
当時は、MONGOL800やハイスタや175Rなどの全盛期。スネイルランプとかがオリコンの上位に食い込んでくるような時代でした。あの頃は良かったなー。
で、そんな曲もコピーしつつ、僕はひたすら速弾きを極めたくて、ポールギルバートやイングウェイやインペリテリやらを聴きまくりました。B’zにもかなりハマりました。「ギリギリchop」とか「Calling」とか弾きまくりましたね。
今思うと全然弾けてなかったと思うけど、高校の3年間でそこそこ指は動く人になれました。
高校2年の時に音楽で生きていく事を決意。
高校2年で進路指導が始まった時、最初は普通に大学へ行く予定でした。
親とも相談して、教育大とか音大とかに行って、教員免許とって、みたいな。今考えたらゾッとしますね。で、その当時の僕もやっぱりやりたくない事をするべきじゃないと、どう考えてもモチベーションが上がらんという事で、親に専門学校への進学を直談判しました。
最初は反対されましたねw
でも、当時は専門学校の全盛期。どの音楽雑誌を見ても専門学校の特集記事や別冊が付録で付いているほどでした。
そこで見つけたのが甲陽音楽学院。今は名前も変わってよく分からんのですが、決め手となったのはバークリー音楽大学と繋がっていたこと。
両親共に音大卒の家庭なので、流石にバークリー音楽大学の名前を知らないはずがありません。甲陽音楽学院で2年間過ごして、そこで取得した単位をそのままバークリー音楽大学へ持って行くことができるから、実質バークリーを2年で卒業できるという話をして、何とか説得に成功。
友人たち皆が関大や同志社とかのオープンキャンパスに行っている時に、僕だけはギターを担いで甲陽音楽学院の見学に。親も何とか納得させることが出来て、甲陽音楽学院への入学を決めました。
ハッキリ言ってお金もかかるし、実際バークリーに行けるかも分からんし、それで飯食って行けるかも分からんのに、僕を信じてくれた両親には感謝しかないです。そうと決まったら徹底的にサポートしてくれる素晴らしい親なので、高校3年からは友人たちが予備校に行く中、僕だけは駅前留学してました。父ちゃん母ちゃん本当にありがとう。
甲陽音楽学院でジャズに出会う
講師業をしているので、基本的にはロックでもポップスでもジャズでもフュージョンでも一応何でも出来ますが、主戦場は主にジャズです。で、ジャズかっけ〜と思ったのが、甲陽音楽学院に入った時。
これまで速弾きにしか興味がなかった僕が、始めてアドリブという世界に出会った瞬間でした。入学したら、すでにジャズのアドリブをできる人がいて、その人の演奏を聞いて、何でアドリブでそんなこと弾けんの?と疑問だらけでした。
素晴らしいぶっ飛んだ同期たちと、セッションや練習やらを重ねて、ジャズもいつの間にか形になっていました。学内ではそこそこ上のレベルにいたと自負してますw
甲陽にいる時は、ジャズといっても割とオーソドックスなスタイルが好きで、しかもテンポの速い4ビートがひたすらかっこいいと思ってました。速弾きの名残がまだ残ってますね。
甲陽音楽学院の時に一番のアイドルだったのはジェシヴァンルーラー。未だに大好きですが、当時はCDが擦り切れるくらい、ソロを全部歌えるくらい聞きました。「Live at Murphy’s Law」は僕の中では一番の名盤ですね。
奨学金1万ドルを獲得
甲陽音楽学院の2年の秋、ついにバークリー音楽大学の奨学金試験を受けました。結果は見事合格。当時の最高額だった奨学金1万ドルを獲得しました。実は、1万ドルを取らないと渡米できないという結構ハードルの高い約束を親と交わしていたので、結果が出るまではドキドキでした(汗)。
色々大変なこともありましたが、結果的に無事バークリー音楽大学への入学が決まり、とても充実した2年間だったと今は思います。
渡米初日から盛大にズッコケる
ついにやってきた渡米の日。海外留学の経験が合った姉が1週間だけ付いてきてくれることになり、2人で出発。
ところが、パスポートの次に大事なあるものを忘れているのに、デトロイトの税関で気付きます(滝汗)。
「F-1ビザ」。
所謂学生ビザです。これを忘れましたw
というか、当時の僕はその存在すら知らなかった様子。訳が分からず日本に電話したら、きちんと机の引き出しにピッカピカの状態でしまってあったそうです。
別室に連れて行かれて、強面のデカイおじさんに色々身体検査されましたね。結局代理のビザみたいなので何とか税関は通過できて、ボストンに到着。
次の日早速大学のオフィスに行ったんだけど、普通に休みで焦りはMAX。だって学生ビザないんだもん。やばいよーと思いながらも、姉さんがいたので何とかメンタルを立て直しました。開き直って生活の準備を楽しむことに。1人だったらやばかったかなw 姉さん本当にありがとう。
とりあえずF-1ビザを再発行してもらうことができて、無事にキャンパスライフをスタートできました。
充実したバークリー音楽大学での生活
バークリー音楽大学では、これまで自分が持っていた音楽の概念や理想なんかを全てひっくり返されました。
コンテンポラリーなスタイル、変拍子、スタンダードじゃないオリジナルの格好良さ、恩師との出会い、とにかく色々な発見や変化をたくさん経験できました。
ボストンでの3年間で、自分のスタイルや考え方の根本が出来たと言っても過言ではありません。数えきれないほどの刺激を受けて、影響されて、真似して、生み出して・・。
日本では経験出来ないこと、感じることが出来ないであろうことを本当に沢山体験出来ました。
で、2009年秋、日本に帰国しました。
島村楽器音楽教室で講師業をスタート
日本に帰ってすぐ、島村楽器のオーディションを受けました。結果は無事合格。晴れて講師としてのキャリアをスタートしました。
ずっとジャズばかりやってきたから、チョーキングやペンタトニックやらのロックギター的なものがまるで弾けず焦りました。かなり練習しましたね。ロックギターを。まぁ過去にはハードロックに陶酔していた時期があったので思い出すことは簡単だったけど、指はジャズの指になっていたので、なかなか難しかったですねw
このプロフィールを書いている現在(2019年11月)は、生徒さんの数は約90名ほど。春には勤続10年を表彰されてしまいましたw
副業を始める
2013年頃から、音楽家としての未来に不安を感じて副業をスタートしました。
どこかの会社に勤めるとか、バイトするとか、そういう選択肢は全くなくて、最初からインターネットでのビジネスを模索しました。
アフィリエイトでの報酬が発生したのが2013年の9月。そこからは、音楽家とアフィリエイターの2足の草鞋で生きていくことになりました。
2018年には、島村楽器の報酬をアフィリエイトでの報酬が大きく超えました。
ただし、このままで死ぬまでやっていけるわけでもないし、島村楽器が潰れたり、運営しているアフィリエイトサイトがすっ飛んでしまった瞬間に報酬はゼロになってしまうので、収入の軸をもっと持たなくてはと思って、さらに事業を増やそうと計画し始めたのが2019年。
で、このサイトを作ろうと思ったのが2019年の11月です。
複業家としてやっていく
基本的にはミュージシャンを本業としていたいという思いやプライドがあったけど、最近は肩書きにあまり興味が無くなってます。
ミュージシャンでも良いし、アフィリエイターでも良いし、ネット起業家でも良いし、ギター講師でも何でも良いかなと思ってます。
とりあえず今は、
- ミュージシャン
- ギター講師
- アフィリエイター
- オンラインギターサロンオーナー
- このサイトの管理人
などが僕の職業。
悲しいかな、ミュージシャンとしての収入はほとんどありません(泣)。
最近ようやく分かってきたんですが、僕は結局音楽と同じくらいビジネスが好きみたいで、このサイトを運営することとか、オンライサロンを作ってデカくしたいと野望を持って戦略を練ることとかがめちゃ楽しいんです。もちろんギターの腕にもそれなりの自信はあります。
芸術家って、それ1本で生活できれば素晴らしいけど、ほとんどの人はそうはいかないのが現実。だからこそ僕は4足でも5足でもわらじを履いて生きていきたいと思います。
家も欲しかったし(買った)、車も欲しいし(そろそろ買い換えたい)、旅行もしたいし、美味しいもの食べたいし、子供を楽しい所に連れていきたいし、人生一度なのでやりたいことは全部叶えたいと思ってます。
これを書いている今は、ギター講師とアフィリエイターとしての収入しかないけど、2020年にはオンライサロンとこのサイトでもガンガン収益を上げていきたいと思います。
ちょっと長くなってしまいましたw
最後まで付き合って頂いて嬉しい限りです。ありがとうございました。
これからも「Easy_Guitar_Net」をどうぞよろしくお願い致します!
トミタ